坂の街 金澤

二十人坂(にじゅうにんざか)

石引と笠舞を繋ぐ坂道です。笠舞から石引方向への一方通行になっています。石引から笠舞方向へはお隣の白山坂が逆方向の一方通行でした。且つては交通量が多かったのですが、現在は片側2車線の新しい道路があるので交通量は多くありません。

 

 

 

 

坂の上には且つての「二十人町」です。

 

 

 

 

桜吹雪!

 

途中にある一本松陸橋。

 

 

 

※写真は2016〜2017年に撮影

坂の街 金澤

あかり坂

主計町茶屋街の路地を進みます。「暗がり坂」と並行しています。

 

 

 

 

標柱がありますが、金沢市が設置したものではありません。

 

作家の五木寛之さんが近年「あかり坂」と命名しました。同名の小説もあります。

 

 

坂の上にはお茶屋さんの一葉があります。

 

 

印象深く目立つ提灯のお店は、美人ママの経営で一見さんお断りらしいです。

 

※写真は2017〜2019年に撮影

 

 

           

坂の街 金澤

裏門坂(うらもんざか)

名称の由来は宝円寺の裏門にあったからです。

 

 

現在の宝円寺の裏は住宅街になっていてその先に墓地があり、墓地を抜け民家の敷地みたいな細い道を通ると裏門坂に至ります。

 

裏門坂の上付近も住宅街になっていますが、裏門坂は車の通行は出来ません。木曽坂を経由すれば車の通行が可能です。

 

階段とスロープになっていて、坂を下れば扇町に至ります。

 

最も眺望が良い位置の住宅は朽ちて倒壊してしまっています。

 

界隈の主(ぬし)が現れました。

 

 

一旦下って見上げてみました。20代の頃、坂を下った辺りに5〜6年間住んでいた事があるのですが、この道は全く知りませんでした。

 

「サカロジー」に依れば、1669年までは「寶圓寺谷坂」と呼ばれていたのだそう。この年に宝円寺が再建されるまではこちらが正門だったそうで、再建後に馬坂側が正門になったのだそうです。確かに1667年の古地図を見ると裏門坂の辺りは「寶圓寺門前」と記載されています。金沢古蹟志にも同様の記載があります。更には「其の地景巌石岨ちて、谷川の流れ、雜木生ひ茂りたる風景、實に人跡絶えたる幽谷の樵道の如く、金澤市中の地景に非ず」と記載されています。

 

 

※写真は2017〜2019年に撮影

 

 

 


坂の街 金澤

つばや坂

久し振りにこのカテゴリー。写真は2016〜2018年に撮ったものです。

犀川沿いの道と寺町の通りを繋ぐ坂です。「サカロジー」の著者故国本昭二さんが個人的に「つばや坂」と呼んだそう。由来は坂の上にある料亭のつば甚と、且つて坂の下にあったつば甚経営のセンチュリープラザを繋いでいたからだと思われます。その他「甚兵衛坂」とも呼ばれているそう。

 

犀川沿いの通りです。

 

センチュリープラザの跡は専門学校になっています。そこと民家の間の舗装もされていない見落としそうな路地が入り口。

 

 

 

階段のコンクリートはかなり年季が入った感じです。

 

くねくねと方向を変えて登ります。

 

 

 

 

 

坂の上は寺町の通りに出ます。

 

 

 


坂の街 金澤

帰厚坂